2010年12月31日金曜日

チアゴ・キヨシさんから年賀状

第6期ブラジル研修生のチアゴ・キヨシさんから新春メッセージが届きました。「愛媛の訪問が忘れられない」と英語でしたためられた、以下のようなメッセージです。
Hi minna-san!  Genki desu ka?! Sorry for being writting in english, but.. as you all remember.. my japanese isn't very well. hehe
It had been about 3 months ago that we had gone to Ehime. And we were warmly received with open arms. Over the others 3 weeks i've learned a lot of Japan and Ehime. Till now, I still miss a lot all the places that we've gone to and specialy the people that i've met.Thank you all for all the time that we stayed in Ehime!  I hope to meet you all again as soon as possible.
Today, is the end of the year too . So I wish you all a Wonderfull New Year!  An Year full of happiness, health and success. I don't have the email of all the people that helped us and we have met through our stay, so if it's possible, I whish that you could forward my feelings for them all.
Great Hugs! And a Wonderfull 2011!     Kinoshita Kiyoshi yori.

〈和訳)
Hi minna-san! Genki desu ka?!
 ぼくの日本語はいまいちなので、英語文で書きます。ごめんなさいネ。
愛媛におじゃましてからはや3カ月近くたちます。あのとき皆さんは私たちを温かく迎えてくれました。3週間の滞在期間中、日本のこと、愛媛のことをたくさん学びました。訪問先のことを思い出し、お会いした人々のことが脳裏をよぎる毎日です。皆さんありがとうございました。ぼくは1日も早い再会を待ちわびています。
 きょうは、1年の最後の日です。来年がよき年でありますよう、皆さんのご健康と、ご多幸をお祈りします。滞在期間中お世話をしてくださった方、また触れ合うことのできた方々、お一人お一人にメッセージを伝えたいのですがメールアドレスを知りません。ぼくの気持ちを皆さんに伝えていただければ幸いです。
 みんなとハグ! 迎春2011         (Kinoshita Kiyoshi yori.)

2010年12月28日火曜日

菊池安雄さんから新春へのメッセージ

 南加県人会の元会長、菊池安雄さんから、今年は大変お世話になりました、というメッセージが届きました。これには県人会の100周年記念行事への訪問団に対するお礼意味が込められています。
 写真は、同県人会による09年7月の「ふるさとツアー」のスナップです。この日、松山・大街道で土曜夜市が始まり、菊池さんは孫たちと一緒に日本の縁日の雰囲気を楽しみました。
 100周年行事は訪問団にとっても貴重な経験となりました。成功の要因の一つは「菊池スマイル」に発するという実感もあります。
 大街道を歩きながら菊池さんはわが妻にひとこと言いました。「奥さんも、ロスに来るんぞな」。このひとことが、妻を訪問団に加わらせたのでした。いい意味の南予人気質はロスの中に息づいてます。来年も素晴らしい出会いを待ちたいと思います。

松田リエさんから年賀状


 ブラジル6期研修生のリエ・マツダさんから新春のメッセージが届きました。

美しい年賀状です。でも、どこかヘンな日本語です。このあたりが、リエさんのリエさんたるゆえんでしょうか。懐かしいですね。「お世話になった皆さんによろしく」とのことです。

2010年12月23日木曜日

「田中さん。ほら、こんなに釣れました」メリッサ

今秋やってきた第6期ブラジル研修生のメリッサ・メグミ・シライシさん=写真右=から「日本から持って帰った餌木(エギ)を使って、パパがこんなにたくさんイカを釣りました」との報告がありました。
 メリッサさんたちは愛媛に滞在中、中島・上怒和にも出向き、松山・島博実行委員長の田中政利さんらのお世話で島の体験をしました。魚釣りを楽しんでいるとき、メリッサさんは「私のパパもイカ釣りが大好き。でもあまり釣れないです」と打ち明けました。そこで田中さんは「水産国・日本のエギは世界一」と説明し、自分が愛用しているエギを持ち帰らせるとともに、釣具屋を紹介。メリッサさんはエギをどっさり仕入れ、これをお父さんが早速、試したというわけです。田中さんにあてたメールは、以下の文面でした。
TANAKASAN GENKIDESUKA?? MEGUMI DESU!!  HISASHIBURIDESUNE!! 
TANAKA SAN NO OKAGEDE OTOUSAN WA TAKUSAN IKA WO TORIMASHITA.
SHASHIN WO OKURIMASU. MINNANI YOROSHIKU NE.
BYE BYE. MEGUMI YORI

2010年12月22日水曜日

イベッティさんからクリスマス・メッセージ

 この秋、協会のブラジル研修生の団長として愛媛にやってきたイベッティ・ノリコ・フジサキさん=写真=が一足早くクリスマスと新年を祝うメッセージを送ってくれました。ジョン・レノンの代表曲「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」も添えられて、イベッティさんらしい人柄がしのばれます。以下です。

Minassan:
Merry Chistmas!
Akemmashite shinnem omedeto gozaimassu.
Kotoshiwa iroiro ossewani natte domo arigato gozaimassu
Mata korekaramo yoroshiku onegaishimassu.

“ SHIKKARI DAITIWO FUMI SHIMETE
John Lennon no music wa portugaru-gomo kaite imassunode, tanoshinde kudassai.
Kotiradewa taihen atsukute, senshuuwa 40º deshita.
1 kaguetsukan assobimashitanode, imawa totemo issogashiidesu. Demo nihon no kenshuwa minassamo okaguede saikoo deshita.
Karadani kiwo shukete, anatano shiwasseni oinorishite orimassu.
Mata aeru himade tanoshimini shite orimassu.

Ivette Noriko Fujisaki
2010/12/20




【ジョン・レノンのハッピー・クリスマス(戦争は終わった)】 今宵はクリスマス / どんな年だった? /一年が過ぎゆき /また新しい一年が始まる /それがクリスマス/ 皆 楽しんでるといいな/近しい人 大切な人 老いも 若きも /メリー・クリスマス/ そしてハッピー・ニュー・イヤー/ 良い年であることを祈ろう /なんのためらいもなく/ 今宵はクリスマス/ 弱い人や 強い人にも /金持ちや 貧しい人にも /世の中間違いだらけだけど /ともかく ハッピー・クリスマス /肌の黒い人や 白い人にも 黄色い人や 赤い人にも/ さあ 争いは止めよう /(中略)/メリー・クリスマス/ そしてハッピー・ニュー・イヤー /良い年であることを祈ろう/ なんのためらいもなく/ 戦争は終わる 君が望むなら /戦争は終わりにできる・・ /ハッピー・クリスマス

2010年12月17日金曜日

講演の中村博士とふるさと伊方談義

 中村修二博士の講演会が11月20日、ロサンゼルス・リトルトーキョーの京都グランドホテルで開催されました。大広間は満員となり、『日米での研究(仕事)の違いについて』と題する講演に、聴衆は聞き入りました。
 皆さんご存知の通り、博士は青色発光ダイオードと青紫色半導体レーザーの研究開発で頂点に立つ世界的科学者です。ブルーレイ、液晶薄型大型画像スクリーン、白熱灯からLED証明の製品実用化に成功し、フィンランドの国家最高権威である国際賞ミレニアム賞や、アメリカ政府のフランクリン賞などを受賞しました。次期ノーベル賞に最も近い人と言われる所以です。日本が政権麻痺と経済低迷の中にある現在、力強く、個性ある中村節は、われわれ聴く者を魅了して余りあるものがありましました。
 私は伊方町九町の出身。中村博士とは同郷であり、私の元同級生が博士と親戚である縁で、主催者側の計らいにより講演会の前、しばし歓談の機会を得ました。妻と共に語らいましたが、とても前向きで、きさくな人柄に親しみを覚えました。
博士は実際には大久の生まれとのことで、九町には叔父上が居られるとのことです。大久の海辺で飼う牛のことや、故郷の話に華が咲きました。現在はカリフォルニア州立大学のサンタバーバラ校で教授をされていますが、私の家からは1時間ちょっとの距離でもあり、またお会い出来る機会もあるような気がして、楽しみにしております。(川口恵盛・南加愛媛県人会会員、100周年記念式典出席)


(※)川口恵盛さんは、中村博士の講演を聴講した感想を次のように語っています。
 「博士が言わんとされたことは、題目の通り、日米の研究開発環境の差異ということですが、それを通して言いたかったことは、二つあると思います。一つ目は、日本の研究開発環境が米国のそれと比較すると拙劣であること。このことは、米国において日本人の多くの科学者がノーベル賞受賞者まで成長することをみれば当然だと思います。二つ目は、日本の企業が研究者の成果に対して妥当な理解と扱いをしないということ。博士の言葉を借りれば、日本のサラリーマンは『社畜』のようなものである。そのような環境に甘んじることなく、外に飛び出し自分の夢を実現して欲しい。そのことを特に訴えたかったのだと思います。とてもストレートに歯に絹を着せず話されるので、語弊もあるかとは思いますが、言わんとするところは、聴衆によく理解されたと思います」



  写真説明=講演の合間を縫い中村博士と懇談した川口夫妻

2010年7月11日日曜日

「敵の中に一番大事なお友達が隠れている」ジョイ・コガワさん

 カナダ日系2世の作家、ジョイ・コガワさんが、6月21日の海外協会の定期総会で記念講演しました。コガワさんは前日の20日には南海ラジオの「木藤たかおの日曜プレスクラブ」にナマ出演。父中山吾一氏(大洲市蔵川出身)のことや、自身の文学作品の出発点について語りました。このなかで時代へのメッセージをたずねられたコガワさんは「敵の中に一番大事なお友達が隠れている」とふくらみのある言葉を披露しました。以下、インタビューの採録です。(聞き手はパーソナリティティー・木藤たかおさん)

木 藤 スタジオにはゲストをお迎えしました。カナダを代表する作家ジョイ・コガワさんです。おはようございます。
コガワ おはようございます。
木 藤 グッドモーニングと申し上げたほうがよろしいのでしょうか。日本語は大丈夫でしょうか。
コガワ 少しだけ分かります。
木 藤 お父様が大洲市のご出身。カナダでは大変有名な日系人の作家でございます。いま処女作品の「失われた祖国」(原書名「OBASAN」)を手にしているのですが、これはどういう作品ですか。
コガワ my familyのstoryだけれど、本当のこともfictionも混ざっています。長崎から始め長崎で終わっていて、そのbeginning とendはfictionですが、真ん中のことはカナダの日本人の(本当の)話です。
木 藤 戦争中はカナダの日本人もかなり苦しい体験をされたのでしょうか。
コガワ はい。でも、日本の(中での)苦しみとは比べられないけれど、カナダの日本人はdiscrimination(差別)がひどくて、私は子供のときidentityは日本人だと言われて苦しい思いをしました。
木 藤 カナダというと、そのような差別とか厳しい状態がないというイメージを持っておりましたけれど、やはり戦争中は差別があったのでしょうか。
コガワ そうです。
木 藤 そうですか。やはり随分つらい思いもされてきたのでしょうか。
コガワ そうです。日本は戦争中、敵の国でしたから、日本人はとってもcruel(残忍)で、嘘を言う人たち、そしてtrust(信用)ができない、という気持ちがカナダ人にありました。日本人を国から出したい、と人たちがいて、皆仕事をやめさせられました。私たちは山の中の強制収容所に入れられます。そして、その後、日本人はカナダの国じゅうに散らばされます。私たちの家族はサトウキビ大根の畑で強制労働をさせられます。
木 藤 そうですか。コガワさんの作家としての原点もそういうところにあるのでしょうか。
コガワ そうです。そういうことですね。
木 藤 このデビュー作「失われた祖国」はカナダ文学賞、全米図書賞、日本翻訳功労賞などを受賞した素晴らしい作品ですが、次にお父様の中山吾一さんについて教えていただけませんか。大洲市のご出身で、カナダではキリスト教の牧師として活躍されたということですね。
コガワ はい、父はもともとお医者さんを目指していました。だけど、最初の子供が生まれたときに死んでしまいます。そのことから、「体でなく心を助けてあげる仕事」をしたくて牧師になった。そして、人を助けてあげることが仕事になった。戦争でばらばらになった人と一生懸命コミュニケーションしたり、本を出したり、新聞や雑誌に書いたりしました。
木 藤 そのお父さんのふるさとは大洲市の山間集落の蔵川にあり、きょう訪問されるそうですね。お父様がお生まれになった家がそのまままだあるのですって?
コガワ はい、あるらしいです。写真は見ましたけれど。
木 藤 どんな思いでしょうね。そこに立たれたら「ああ、お父さんはここで生まれたのだ」ということになるでしょうね。楽しみですね。
コガワ はい、(笑い)そうなのです。
木 藤 あすは松山で講演も予定されています。どんなお話をされるのですか。
コガワ お父さんのexperience(体験)や私のfamilyのこと・・・。そして、今度長崎に来て原爆の意味が分かってきた。本を書いたときには全然その意味が分からなかったけれど、ようやく分かってきたのです。その原爆の話も少しします。
木 藤 この「失われた祖国」は長崎の原爆のことが書かれていますが、その意味が今ようやく分かって来たと言われるわけですか。
コガワ はい。そうなのです。書いているときには何を書いているのか、その時は分からなくても、私の目は前でなく、後ろにあるので(笑い)、ようやく分かったということです。
木 藤 あしたの講演会の前に、それはどういう意味であるのか、教えていただけませんか。
コガワ ああ、それは長い話になります(笑い)。
木 藤 それは公演会でお話される、ということでしょうか。その講演会ですが、あす21日午前11時から、東京第一ホテル松山で開かれます。主催は愛媛県海外協会、共催はカナダ友好協会松山支部。無料で、だれでも出席できるということです。たくさんの方に聞いていただけるといいですね。
コガワ はい。そうです。
木 藤 さて、最後に、地球はますます狭くなって、人や情報が行きかうという時代になりました。コガワさんから現代に対するメッセージをお願いできますか。
コガワ to the world ?
木 藤 はい。ぜひお願いいたします。
コガワ とてもシンプルなメッセージですが、敵のなかに一番大事なお友達が隠れています。敵を殺すことは一番大事なお友達を殺すことになる。それが長崎の意味だということです。原爆で「隠れキリシタン」が殺されたでしょう。あの人たちはアメリカの一番大事なお友達。その意味で、私は今ごろ敵のなかにお友達がいるということを考えています。
木 藤 敵のなかにお友達がいる・・・なるほどですね。これがまさに現代に対するメッセージですね。まだまだお話をおうかがいしたいのですが、時間のほうが来てしまいました。お話の続きはあしたの講演会ということになります。たくさんの方に来ていただきたいですね。きょうは素晴らしいお話をありがとうございました。
コガワ ありがとうございました。 
写真=カナダ友好協会の井上貴美子松山支部長とくつろぐジョイ・コガワさん(左)=松山市花園町のラーメン店「瓢太」で。
         

2010年5月24日月曜日

150人集め八幡浜シンポ(愛媛新聞が報道)


 愛媛県海外協会が主催し、八幡浜の地域振興協議会「北針」と南カリフォルニア県人会が共催した「シンポジウム 異文化を越えて」は、愛媛新聞が大きく紙面を割いて報道してくれました。


2010年4月7日水曜日

「柿の益田さん」歓迎会が愛媛新聞に


 ブラジルに移住し柿づくりを続ける益田照夫さん=今治市玉川町出身=が一時帰郷しており、4月5日には海外協会のブラジル研修生OBらが歓迎会を開催しました。益田さんは一昨年栄えある農業賞「山本喜誉司賞」を受賞。それ以来、初めての帰郷。歓迎会のもようは愛媛新聞でも紹介されました。
 この日、益田さんは協会事務局で愛媛新聞の野田貴之記者のインタビューを受け、ブラジルに渡ったいきさつや、柿づくりにかける思いなどを披露しました。この取材には協会の村上空山さん、宮内敏行さんの2人の理事が同席。熱烈応援団も交じって、なごやかなインタビューが繰り広げられました。
 取材を受けた後、3人は事務所ぐ近くの道後温泉へ。温泉に入って気分も爽快となった益田さんは、午後7時からの歓迎会に臨みました。
 野田記者の記事は歓迎会のようすを簡潔にまとめてくれています。ぜひご一読を。愛媛CATVでもこの日のインタビューが放映されるそうですので、こちらも併せてご覧になってください。


2010年3月18日木曜日

宮田諦詮師が愛媛新聞に登場しました


 米・ロサンゼルスから大洲市に帰省中の高野山米国別院名誉主監、宮田諦詮(たいせん)さんが、18日付の愛媛新聞で紹介されました。 父・諦融(たいゆう)さんの遺作を集めて画集を出版したことを紹介する記事です。本を手に柔和に微笑む諦詮さんの写真もアップで添えられています。
 出版の動機などについて、記事では「画集は諦融さんの五十回忌に合わせて出版。500点ほどの作品のうち、師とともに描いた高野山龍光院の扉画や修行先の金山出石寺などが所蔵する仏画など計39点とその足跡がまとめられている」と書かれています。
 このほか、諦詮さんが南加県人会の100周年プレ事業で昨年4月、四国遍路巡拝の旅の団長役を務めたことにも触れていています。
 諦詮さんは、父の五十回忌の法要のため帰郷し、4月6日まで滞在。21日夕には旧三善中学(大洲市)の教え子たちに囲まれ、道後のホテルで楽しいひとときを過ごす予定です。

2010年3月10日水曜日

日伯「虹のアーチ」を祝福







 








 在伯県人会長の藤原利貞さんの長男真人さん(29歳)が、同じサンパウロ大学の仲間カーリンさんと結婚し3月Ⅰ0日、父のふるさと愛媛を訪問しました。待ちかねていた海外協会の研修生OBらが、2人の前途を祝福し激励しました。
 この日、伊予市の「ゆり美容院」のお世話で念願の和式の結婚記念写真を撮影。この場には協会研修生OBのほか、理事の福本孝さん、監事の仙波政雄さんらも姿を見せ、カーリンさんのあでやかな花嫁衣裳に見とれました。昼ごはんは仙波さんの案内で寿司店「伊呂波」に赴き、おいしい和食をごちそうになりました。カーリンさんは真人さんの母の手料理を味わってきたため、「これはチャワンムシでしょ。シッテイマス。オイシイ」と楽しそうに箸を進めていました。
 昼からは、寒風吹きすさぶ松山城や道後温泉を見学。この後は、市内桑原町のイタリア料理店「サントキキ」で歓迎会。ここでは28人の仲間に囲まれて祝福を受けました。一昨年の県民訪問団に加わった松山市長の菊池伸英さんの祝辞メッセージも届き、遅くまで会は盛り上がりました。現在、2人は父の農場で働いていますが「いつかは自分たちの農場を持ちたい」と力強く抱負を語っていました。


2010年3月5日金曜日

タイムリーなアメリカ移民展


 今治西高出身で大学時代から移民史の研究を続け、明治・大正時代の八幡浜地方からの密航などをテーマに「アメリカの風が吹いた村」(愛媛県文化振興財団)を出版した敬愛大学国際学部教授の村川庸子さんから協会事務局に1通の手紙が届いた。  

 内容は、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で3月16日から開催される展示会「アメリカへ渡った人々と戦争の時代」の案内だった。この展示会は、企画から資料収集、パネルの製作まで村川さんが担当。戦前のコーナーでは八幡浜地方の移民や密航史を大きくクローズアップするとともに、県人が多く集住していたシアトルやタコマでの生活ぶりにもスポットを当てているという。

 また、3月20日午後1時からは米国の研究者2人を招いてのシンポジウム「アメリカ移民の過去・現在・未来」も開催。移民にかかわる多面的な論議を通じて、アメリカ社会のみならず、人類社会が抱えてきた普遍的な問題(戦争や差別など)を見つめなおすことにしている。
 コーディネーターも務める村川さんは「この夏、南加愛媛県人会の100周年で、県民の訪問団が計画されていると聞きました。記念の年にこのような展示会が開催されるのも何かの縁でしょうか。関心のある方は、ぜひいらっしゃってください」としたためていた。同展は2011年4月3日まで。

2010年3月4日木曜日

南加県人会、晴れやかに新年会

 南カリフォルニア県人会の新年会のもようを元県人会長で顧問の小笠原晋也さん(今治市出身)が届けてくれました。8月1日の記念式典へ向け、皆さんの張り切りようが伝わってきます。


記念式典を前に晴れやか新年会 (写真はティム・ヤマモト氏提供)


 南加愛媛県人会の2010年新年会は、2月21日に日系社会の中心地・トーランス市にある「ミヤコ・ハイブリッドホテル」で挙行いたしました。
  司会者は、100周年記念のリハーサルおよび会組織の未来への継承を考慮して、今回初めて英語を母国語とする世代が担当することとなり、オータニ・キヘイ氏とキクチ・ナンシー氏がこれを務めました。両氏とも前評判以上の才能を発揮し、日英両語堪能で「新タレント誕生!」と皆さんから絶賛されました。来賓として、南加県人会協議会より福岡健二会長、南加日系商工会議所より岡本雅夫筆頭副会頭(松山出身)をお招きしました。
 出席者は53人に及び、日系スーパー最大手マルカイの社長・松秀二郎氏(吉田町出身)も急きょ出席されました。
 会の進行は、先亡者への黙祷に続き今年も続投の松岡八十次会長(今治市出身)によって、加戸守行県知事、および井上善一海外協会会長の祝辞が披露されると、一同の顔に笑みが溢れました。
 後半は、県庁国際交流課より頂いたDVDによる"愛媛の紹介”、宮田諦詮大僧正による「四国88カ所巡礼ツアー」、キクチ・ナンシーさんによる「ふるさとツアー」の報告がありました。また「秋川雅史ロサンゼルス公演」の報告については日系引退者ホーム総代の藤枝ウエードさん(西条出身)、そして、私(秋川さんのお父さんと今治西高で同窓)と家内とで行い、13曲が入った秋川さんのCDを全員に配布しました。
 余興では、婦人部によるコーラス、そして100周年に向けて特訓中の舞踊『伊予節』が披露されました。この舞踊は坂東三津拡師匠(八幡浜出身)の振り付けによるもので、同師匠は県人会の発展はもちろん40数年もの間米国で日本舞踊の普及に尽力されております。
 締めくくりは、100周年記念行事への基金募集を兼ねた"ドアプライズ"とみなさんが持ち寄った恒例の"ギフト交換"が花を添え、余韻を残しながらも、雄弁な菊池安雄顧問の謝辞で閉会の運びとなりました。(文中の顔写真は筆者)

2010年1月31日日曜日

郷土愛は、海を越え、時代を超えて

 終戦後、南カリフォルニア(南加)に在住していた愛媛県人の寄付をもとに建てられた愛媛大学の記念講堂が新たに「南加記念ホール」の名でリニューアルされ、将来にわたって保存されることになりました。当時の寄付者らの子弟で組織する南加県人会は今夏、創立100周年を迎えることになっています。同県人会の松岡八十次会長(今治市上浦出身)は、「私たちは100周年をテコに力をあわせて組織の再活性化を図ろうとしています。そのような折から、愛媛大学の取り組みは私たちに元気を与えてくれる、この上なくありがたいお話です」と喜んでいます。移住者の深い郷土愛を語り継いできた記念講堂は、いま急ピッチでリニューアル工事が進められています。3月末には完工し、これからも「在外県人の心意気」を伝えることになります。(写真=昨年7月、愛媛大学を訪れた南加県人会のふるさとツアーの一行と、55年ぶりに大改修が進む愛媛大学記念講堂)












  






        
      



  南カリフォルニア愛媛県人会に感謝状の贈呈
                (2009年07月07日、愛媛大学ホームページ)

 平成21年7月1日(水)愛媛大学学長室において,柳澤康信学長から,南カリフォルニア愛媛県人会に感謝状を贈呈しました。
 昭和30年に愛媛大学開学5周年記念事業として,城北キャンパスに「記念講堂」が建設されました。本講堂は,当時,米国南カリフォルニア州に在住していた愛媛県出身者88人から寄付された浄財を基礎として建設されたものです。
 当時の在米県人の方々は,太平洋戦争中は強制収容され,また開拓基礎事業も破壊され戦後の再建に努めていました。その厳しい時代に,郷土を愛し,その地に設立された愛媛大学の発展を念願して,実に1年半もの歳月をかけ「愛媛大学建築援助募金運動」を敢行され,当時の金額で約180万円もの募金を集めたと記録に残されています。
 本学はその御厚情に応えるべく,地域の教育研究拠点として有為な人材の育成に努めてきました。本年,開学60周年を迎えるにあたり,南カリフォルニア愛媛県人会の方々が本学を訪問される機会にあわせて感謝状を贈呈し,改めて感謝の意を表することとなりました。
 懇談会には,愛媛県海外協会会長及び事務局長,壽卓三教育学部長,兵頭寛名誉教授及び矢田部龍一副学長が出席しました。兵頭名誉教授から建設当時の様子についてのお話があった後,柳澤学長から感謝状が手渡され,終始和やかな雰囲気で式が執り行われました。また,生憎の大雨でしたが,県人会の方々の強いご希望で記念講堂に移動し,建設の由来について刻まれた銘板と建物内を見学されました