2010年12月31日金曜日

チアゴ・キヨシさんから年賀状

第6期ブラジル研修生のチアゴ・キヨシさんから新春メッセージが届きました。「愛媛の訪問が忘れられない」と英語でしたためられた、以下のようなメッセージです。
Hi minna-san!  Genki desu ka?! Sorry for being writting in english, but.. as you all remember.. my japanese isn't very well. hehe
It had been about 3 months ago that we had gone to Ehime. And we were warmly received with open arms. Over the others 3 weeks i've learned a lot of Japan and Ehime. Till now, I still miss a lot all the places that we've gone to and specialy the people that i've met.Thank you all for all the time that we stayed in Ehime!  I hope to meet you all again as soon as possible.
Today, is the end of the year too . So I wish you all a Wonderfull New Year!  An Year full of happiness, health and success. I don't have the email of all the people that helped us and we have met through our stay, so if it's possible, I whish that you could forward my feelings for them all.
Great Hugs! And a Wonderfull 2011!     Kinoshita Kiyoshi yori.

〈和訳)
Hi minna-san! Genki desu ka?!
 ぼくの日本語はいまいちなので、英語文で書きます。ごめんなさいネ。
愛媛におじゃましてからはや3カ月近くたちます。あのとき皆さんは私たちを温かく迎えてくれました。3週間の滞在期間中、日本のこと、愛媛のことをたくさん学びました。訪問先のことを思い出し、お会いした人々のことが脳裏をよぎる毎日です。皆さんありがとうございました。ぼくは1日も早い再会を待ちわびています。
 きょうは、1年の最後の日です。来年がよき年でありますよう、皆さんのご健康と、ご多幸をお祈りします。滞在期間中お世話をしてくださった方、また触れ合うことのできた方々、お一人お一人にメッセージを伝えたいのですがメールアドレスを知りません。ぼくの気持ちを皆さんに伝えていただければ幸いです。
 みんなとハグ! 迎春2011         (Kinoshita Kiyoshi yori.)

2010年12月28日火曜日

菊池安雄さんから新春へのメッセージ

 南加県人会の元会長、菊池安雄さんから、今年は大変お世話になりました、というメッセージが届きました。これには県人会の100周年記念行事への訪問団に対するお礼意味が込められています。
 写真は、同県人会による09年7月の「ふるさとツアー」のスナップです。この日、松山・大街道で土曜夜市が始まり、菊池さんは孫たちと一緒に日本の縁日の雰囲気を楽しみました。
 100周年行事は訪問団にとっても貴重な経験となりました。成功の要因の一つは「菊池スマイル」に発するという実感もあります。
 大街道を歩きながら菊池さんはわが妻にひとこと言いました。「奥さんも、ロスに来るんぞな」。このひとことが、妻を訪問団に加わらせたのでした。いい意味の南予人気質はロスの中に息づいてます。来年も素晴らしい出会いを待ちたいと思います。

松田リエさんから年賀状


 ブラジル6期研修生のリエ・マツダさんから新春のメッセージが届きました。

美しい年賀状です。でも、どこかヘンな日本語です。このあたりが、リエさんのリエさんたるゆえんでしょうか。懐かしいですね。「お世話になった皆さんによろしく」とのことです。

2010年12月23日木曜日

「田中さん。ほら、こんなに釣れました」メリッサ

今秋やってきた第6期ブラジル研修生のメリッサ・メグミ・シライシさん=写真右=から「日本から持って帰った餌木(エギ)を使って、パパがこんなにたくさんイカを釣りました」との報告がありました。
 メリッサさんたちは愛媛に滞在中、中島・上怒和にも出向き、松山・島博実行委員長の田中政利さんらのお世話で島の体験をしました。魚釣りを楽しんでいるとき、メリッサさんは「私のパパもイカ釣りが大好き。でもあまり釣れないです」と打ち明けました。そこで田中さんは「水産国・日本のエギは世界一」と説明し、自分が愛用しているエギを持ち帰らせるとともに、釣具屋を紹介。メリッサさんはエギをどっさり仕入れ、これをお父さんが早速、試したというわけです。田中さんにあてたメールは、以下の文面でした。
TANAKASAN GENKIDESUKA?? MEGUMI DESU!!  HISASHIBURIDESUNE!! 
TANAKA SAN NO OKAGEDE OTOUSAN WA TAKUSAN IKA WO TORIMASHITA.
SHASHIN WO OKURIMASU. MINNANI YOROSHIKU NE.
BYE BYE. MEGUMI YORI

2010年12月22日水曜日

イベッティさんからクリスマス・メッセージ

 この秋、協会のブラジル研修生の団長として愛媛にやってきたイベッティ・ノリコ・フジサキさん=写真=が一足早くクリスマスと新年を祝うメッセージを送ってくれました。ジョン・レノンの代表曲「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」も添えられて、イベッティさんらしい人柄がしのばれます。以下です。

Minassan:
Merry Chistmas!
Akemmashite shinnem omedeto gozaimassu.
Kotoshiwa iroiro ossewani natte domo arigato gozaimassu
Mata korekaramo yoroshiku onegaishimassu.

“ SHIKKARI DAITIWO FUMI SHIMETE
John Lennon no music wa portugaru-gomo kaite imassunode, tanoshinde kudassai.
Kotiradewa taihen atsukute, senshuuwa 40º deshita.
1 kaguetsukan assobimashitanode, imawa totemo issogashiidesu. Demo nihon no kenshuwa minassamo okaguede saikoo deshita.
Karadani kiwo shukete, anatano shiwasseni oinorishite orimassu.
Mata aeru himade tanoshimini shite orimassu.

Ivette Noriko Fujisaki
2010/12/20




【ジョン・レノンのハッピー・クリスマス(戦争は終わった)】 今宵はクリスマス / どんな年だった? /一年が過ぎゆき /また新しい一年が始まる /それがクリスマス/ 皆 楽しんでるといいな/近しい人 大切な人 老いも 若きも /メリー・クリスマス/ そしてハッピー・ニュー・イヤー/ 良い年であることを祈ろう /なんのためらいもなく/ 今宵はクリスマス/ 弱い人や 強い人にも /金持ちや 貧しい人にも /世の中間違いだらけだけど /ともかく ハッピー・クリスマス /肌の黒い人や 白い人にも 黄色い人や 赤い人にも/ さあ 争いは止めよう /(中略)/メリー・クリスマス/ そしてハッピー・ニュー・イヤー /良い年であることを祈ろう/ なんのためらいもなく/ 戦争は終わる 君が望むなら /戦争は終わりにできる・・ /ハッピー・クリスマス

2010年12月17日金曜日

講演の中村博士とふるさと伊方談義

 中村修二博士の講演会が11月20日、ロサンゼルス・リトルトーキョーの京都グランドホテルで開催されました。大広間は満員となり、『日米での研究(仕事)の違いについて』と題する講演に、聴衆は聞き入りました。
 皆さんご存知の通り、博士は青色発光ダイオードと青紫色半導体レーザーの研究開発で頂点に立つ世界的科学者です。ブルーレイ、液晶薄型大型画像スクリーン、白熱灯からLED証明の製品実用化に成功し、フィンランドの国家最高権威である国際賞ミレニアム賞や、アメリカ政府のフランクリン賞などを受賞しました。次期ノーベル賞に最も近い人と言われる所以です。日本が政権麻痺と経済低迷の中にある現在、力強く、個性ある中村節は、われわれ聴く者を魅了して余りあるものがありましました。
 私は伊方町九町の出身。中村博士とは同郷であり、私の元同級生が博士と親戚である縁で、主催者側の計らいにより講演会の前、しばし歓談の機会を得ました。妻と共に語らいましたが、とても前向きで、きさくな人柄に親しみを覚えました。
博士は実際には大久の生まれとのことで、九町には叔父上が居られるとのことです。大久の海辺で飼う牛のことや、故郷の話に華が咲きました。現在はカリフォルニア州立大学のサンタバーバラ校で教授をされていますが、私の家からは1時間ちょっとの距離でもあり、またお会い出来る機会もあるような気がして、楽しみにしております。(川口恵盛・南加愛媛県人会会員、100周年記念式典出席)


(※)川口恵盛さんは、中村博士の講演を聴講した感想を次のように語っています。
 「博士が言わんとされたことは、題目の通り、日米の研究開発環境の差異ということですが、それを通して言いたかったことは、二つあると思います。一つ目は、日本の研究開発環境が米国のそれと比較すると拙劣であること。このことは、米国において日本人の多くの科学者がノーベル賞受賞者まで成長することをみれば当然だと思います。二つ目は、日本の企業が研究者の成果に対して妥当な理解と扱いをしないということ。博士の言葉を借りれば、日本のサラリーマンは『社畜』のようなものである。そのような環境に甘んじることなく、外に飛び出し自分の夢を実現して欲しい。そのことを特に訴えたかったのだと思います。とてもストレートに歯に絹を着せず話されるので、語弊もあるかとは思いますが、言わんとするところは、聴衆によく理解されたと思います」



  写真説明=講演の合間を縫い中村博士と懇談した川口夫妻