2012年5月21日月曜日

天神丸出航から100年 「北針」精神に学ぶ

 大正初期、八幡浜市真穴地区の若者たちが新天地アメリカでの成功を夢見て小型船で出航して100年目になるのを記念し、地元の顕彰団体「地域文化振興協議会・北針(きたばり)」は5月20日、JA西宇和真穴支店で式典を開いた。彼らの命懸けの渡航に光を当てた作家と研究者の講演に耳を傾け、先人の不屈の精神に学んだ。
 真穴地区は明治末期から大正にかけ、アメリカンドリームを目指した人々が多かった。1913(大正2)年5月には、15人を乗せた打瀬船(うたせぶね)と呼ばれる、底引き網漁に使う帆掛け船天神丸(全長15メートル)が源蔵前の浜から密かに出航した。「北針」という、木枠に入った磁石を頼りに太平洋を横断。58日に及ぶ決死の航海を経てサンフランシスコの北、ポイントアリーナにたどり着いたが、密航者として拘禁され、強制送還された。

 式典には、地元住民ら約80人が出席。北針の松浦有毅会長が「地域の振興は先人の威風、業績を掘り起こすことから始まる」と主催者あいさつ。天神丸の航海をまとめた著作「北針」がある作家大野芳さんは、30余年前の取材の裏話を交えながら「密航という暗いイメージのものを明るいものに変えた北針の活動意義は大きい」と評価。八西地区の移民史に詳しい敬愛大学教授村川庸子さん=今治市出身=は「移民は貧しい地域から出ると言われていたが、調査結果は決してそうではない。真穴からのかつての移民は次男、三男よりも長男が多かった。数年働いて金銭がたまれば、いずれは帰ってくるつもりだった」と解説した。北針も発足から20年の歩みを振り返った。

 式典に先立ち、源蔵前で、国道378号の拡幅工事で場所を移動した記念碑の移転完了の神事も行われた。

【写真】㊤北針が天神丸の出航100年目を記念して開いた講演会㊦源蔵前で行われた記念碑の移転完了の神事

2012年5月17日木曜日

南加県人会の菊池副会長 日系女性功労者の栄誉

 南カリフォルニア愛媛県人会の筆頭副会長、菊池ナンシーさん=写真=が、日系市民協会(JACL)ロサンゼルス・ダウンタウン支部と南加日系婦人会が日系社会に顕著な貢献をした女性を表彰する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」の2012年度受賞者5人に選ばれた。5月20日に表彰式がある。
菊池さんは父親が伊方町出身。高校時代からボランティア活動に熱心で、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を卒業後、日本の現在のJETプログラム(外国語青年招致事業)で来日し、神奈川県で4年間、英語を教えた。ロサンゼルスに帰った後、ペパーダイン大学大学院でMBA(経営管理学修士)の学位を取得し、日系企業に勤めてキャリアを積んだ。
1989年には南加JET同窓会の設立に参画。世界最大のJET同窓会に成長させ、同会で幾つも要職を務めた。2000年には小東京サービスセンターのビジネスカウンセラーとして従事。07年には日米文化会館のビルディングマネジャーに転職し、さまざまな成果を上げた。
現在はロサンゼルス市の地域開発局に勤務の傍ら、南加県人会など数多くの団体で役員を務め、奉仕活動に取り組んでいる。
 JACLロサンゼルス・ダウンタウン支部と南加日系婦人会のウーマン・オブ・ザ・イヤーは1963年から、日系社会の向上と発展に献身的に尽くした女性に授与されている。

2012年5月2日水曜日

ブラジル・南加 県人会記念誌を販売中

 愛媛県海外協会は、ブラジル愛媛県人会(井上茂則会長)が日本人ブラジル移住100周年を記念してまとめた「ブラジル愛媛県人100年の歩み」と、南加愛媛県人会(大谷喜平会長)の「創立100周年記念誌」を販売している。
 「ブラジル愛媛県人100年の歩み」は2008年の移住100周年に合わせて出版。在伯県人会の編集委員会が愛媛県国際交流協会や愛媛新聞社の協力を得て広大なブラジル国土を駆け巡って完成させた労作。戦前戦後を通じてブラジルに移住した県人は約5千人とされ、同胞県人の望郷の思いや家族愛、波乱万丈の人生模様が描かれている。
 南加県人会の「創立100周年記念誌」は、2010年に米国カリフォルニア州ロサンゼルス市で、愛媛から加戸守行知事(当時)を団長とする官民合同の大型訪問団が出席して開かれた創立100周年記念式典の模様や、訪問団参加者と県人会員の寄稿文などで構成。県人会員からは母県・愛媛への熱い思いがつづられている。

 海外協会は希望者にいずれも11500円(送料別)で頒布している。問い合わせは事務局=電話089(989)7144

【写真】㊤「ブラジル愛媛県人100年の歩み」㊦南加愛媛県人会「創立100周年記念誌」

2012年5月1日火曜日

続木善夫氏帰国 21世紀の農業提言

 ブラジル愛媛県人会の続木善夫さん(82)=サンパウロ市在住=が一時帰国し、21世紀の農業の確立に向けて精力的に愛媛県内のミカン園視察や農業団体との会合をこなしている。
 続木さんは大阪市生まれで、両親が四国中央市土居町出身。1953年、23歳でブラジルに移住。63年に農薬販売会社を設立し、同国有数の会社に成長させた。しかし、農薬だけでは病虫害問題を解決できないと反省し、会社の最盛期に農薬販売を中止。72年、サンパウロ近郊に8ヘクタールの実験農場を購入し、無農薬栽培で有機農業を確立した。土壌改良剤と生理活性剤の開発にも成功。ブラジルはもとより日本でも新時代の営農指導や作物の栽培技術指導を続けている。
在伯県人会関係では、愛媛県海外協会の主要事業の一つ、日伯交換研修生派遣事業を当時の県人会長と提言し、実現させた。
今回は44日、妻典江さん(82)と里帰りし、四国中央市土居町の親戚に滞在。6月上旬、ブラジルへ帰る。
先日には海外協会事務局を訪れ、カンキツ栽培農家でもある井上善一会長と農業談義。続木さんは除草剤の使用をやめることの重要性や、土づくりと根づくり、栄養分などについて持論を展開。カンキツ類の開花、摘果、収穫の時期や、施肥の時期や回数などについて、メモを取りながら熱心に質問していた。
続木さんは「ブラジルでミカン栽培を長期研修したい人がいれば、いつでもホームステイさせて協力する」と話していた。

【写真】海外協会事務局で新農業について語る続木善夫さん