真穴地区は明治末期から大正にかけ、アメリカンドリームを目指した人々が多かった。1913(大正2)年5月には、15人を乗せた打瀬船(うたせぶね)と呼ばれる、底引き網漁に使う帆掛け船天神丸(全長15メートル)が源蔵前の浜から密かに出航した。「北針」という、木枠に入った磁石を頼りに太平洋を横断。58日に及ぶ決死の航海を経てサンフランシスコの北、ポイントアリーナにたどり着いたが、密航者として拘禁され、強制送還された。
式典には、地元住民ら約80人が出席。北針の松浦有毅会長が「地域の振興は先人の威風、業績を掘り起こすことから始まる」と主催者あいさつ。天神丸の航海をまとめた著作「北針」がある作家大野芳さんは、30余年前の取材の裏話を交えながら「密航という暗いイメージのものを明るいものに変えた北針の活動意義は大きい」と評価。八西地区の移民史に詳しい敬愛大学教授村川庸子さん=今治市出身=は「移民は貧しい地域から出ると言われていたが、調査結果は決してそうではない。真穴からのかつての移民は次男、三男よりも長男が多かった。数年働いて金銭がたまれば、いずれは帰ってくるつもりだった」と解説した。北針も発足から20年の歩みを振り返った。
式典に先立ち、源蔵前で、国道378号の拡幅工事で場所を移動した記念碑の移転完了の神事も行われた。
【写真】㊤北針が天神丸の出航100年目を記念して開いた講演会㊦源蔵前で行われた記念碑の移転完了の神事